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お料理Q&A

1960年代から1970年代にかけて、日本は高度成長期と言われていました。
1つの道具を、丁寧に手入れし、修理をしながら、長く大切に使っていくことよりも、次々に新しいものに買い替え、古いものは使い捨ててゆくという価値観が、一般の生活者の間にも急速に浸透していった時代です。

それは、小さな調理道具の世界においても例外ではありませんでした。多くの人々が、長年使われてきた鉄製のフライパンを捨て、手入れが簡単で焦げ付きにくい、テフロン加工のフライパンを買い求めるようになった時期でもありました。そういった風潮に異を唱え、かたくななまでに鉄のフライパンを提案し続けたのが『リバーライト』でした。おそらく’70年代には、日本中の多くのご家庭に、テフロン加工のフライパンがすでにあったのではないでしょうか?

創業者の堀江光は、もともとは建築金物製造をしていましたが、「衣食住の中で、多くの人々にとって最も身近で、しかも、健康や幸福に直結しているのは“食”である。これからは“食”の分野の仕事が大切になる」と考え、事業の転向を図りました。そして、米国のトレードフェアに赴き、アメリカの『テーラー&ウング』社の鉄製フライパンに出会ったのです。当時アメリカで人間性の復活を唱えていたヒッピーの1人がデザインしたというそのフライパンは、「フライパンはメンテナンスが楽なフッ素樹脂加工のものより、料理が美味しく出来、体に良い鉄製のものの方が優れているのだ」という考えから生まれたものでした。取っ手は汚れの付きにくい樹脂よりも、あえて手馴染みが良く熱が伝わりにくい木製。鉄と木で作られた、シンプルな構造のフライパンに、堀江は“もの造りの原点”を見たのです。

昭和51(1976)年『テーラー&ウング』と契約したリバーライトは、日本の家庭に馴染みやすいよう若干の改良を加え、「オムレツパン」と銘打って製造・販売を開始。しかし発売当初は、「鉄のフライパンは時代の波に逆行している」と、小売店のウケはいまひとつでした。堀江は、「良い物を作れば売れる」という信念の持ち主でしたが、世の中は、素朴な誠意や熱意だけでは通用しない、複雑な時代に様変わりしていたのです。悩み続ける日々の中、堀江は、1人の男に出会います。それが、現社長の岡山晄生でした。

岡山はアパレルメーカー『VAN』に在籍していた人物で、キッチン雑貨を扱う『オレンジハウス』の創業に関わった際、『リバーライト』のフライパンに出合いました。リバーライトのもの造りに関する姿勢と製品のデザイン及び品質に惚れ込んだ岡山は、やがて『リバーライト』の経営に参加。長年流通に携わった経験を生かし、堀江を支え、市場を開拓していきました。こうして、リバーライトのフライパンは、世の中に知られ、評価されるようになったのです。後年、堀江が亡くなった際には、古くからの社員に請われて岡山が社長職を受け継ぐこととなりました。

「簡単・便利・楽」ばかりが求められ、子どもの食事を出来合いのお惣菜やインスタント食品、お菓子などで済ませる母親が増えています。家族のために、美味しくて体に良い料理を作って食べさせることが、本来の調理・食事の目的ですし、そういう作業と時間を積み重ねていく中で、子どもは「手をかけてもらっている」と感じ取り、親の愛情を受け止めていくのです。そして、それほどまでに大事な“食”の現場には、それにふさわしい食材と道具が必要だと私たちは考えます。

「安い価格や見栄えだけを追求した“売りやすい”商品ではなく、使い手の立場に立ち、使い手の健康やライフスタイルまで考慮した道具を作っていきたい。良い道具は、使い手の生活の質を向上させ、人生をより豊かにするきっかけにもなり得るものだ。そういう道具を作って行こう。」 それが、堀江が志し、岡山が受け継いだ、リバーライトの仕事です。